公共放送の影響で(プロジェクトXとか仕事の流儀とか)で、日本のプロフェッショナル像というのはけっこうあいまいになっている。ITエンジニアは、医師や弁護士と同等な「プロフェッション(専門職)」なのだろうか、ということを考えている。
プロフェッションを構成する6つの要素
放送大学の「共生のための技術者倫理」という講義を受講している。そこで技術者のプロフェッションについて紹介されていて興味深かった。一般論として、プロフェッションは6つの要素で構成されているということだ。
- 理論的知識に基づく技能
- 長期にわたる教育や訓練
- 試験による能力の証明
- 組織化
- 倫理綱領
- 利他的なサービス
本質から考え行動する科学技術者倫理 (科学技術者倫理教育のテキスト)
1〜3は、まあわかる。知識やスキル、教育、そして資格などによる能力証明である。では4以降はどうだろうか。医師や弁護士については、医師会や弁護士会といった職能集団の形成によって維持されている。一方でITエンジニアの「組織化」は極めて緩やかだ。業界全体を統制するような強制力を持つ団体は、一般的ではない。この現状をどう捉え、私たちはどこにエンジニアとしての規範を求めるべきなのか。少し整理してみたい。
「業務独占」の有無
なぜITエンジニアには、医師会や弁護士会のような強力な組織がないのか。その最大の理由は「業務独占」の有無にある。
医師や弁護士は、法的な資格がなければその業務を行うこと自体が禁止されている。不適格者が紛れ込むリスクを排除するため、国家と連動した強力な自治組織(職能団体)が必要となり、加入が事実上の義務となる。
一方で、ITエンジニアの世界は「自由参入」だ。資格がなくてもコードは書けるし、システムを構築してビジネスを動かすことができる。基本情報技術者や各種ベンダー資格は「名称独占」や能力の証明に過ぎず、参入の障壁ではない。だからこそ、業界全体を縛るような強制力を持つ団体が生まれにくい。それはもちろん良い点でもある。
プロフェッションの6要素に当てはめても、ITエンジニアは知識や技能(1、3)の面では専門職の形を整えつつあるが、組織化や倫理の強制力(4、5)という制度面においては、いまだ「開かれた実践者の集団」という性質が強い。
それでもこれまでは問題は小さかった。しかし近年ソフトウェアを取り巻く倫理の問題が増加している。これからもこのままで良いのか、という点には論点があるだろう。
日本における「守り」の倫理と資格
日本国内に目を向けると、ITエンジニアの周辺でプロフェッションとしての形を模索する動きがないわけではない。特に「法的な義務」を背景にした資格や団体はいくつか存在する。
その代表格が「技術士(情報工学部門)」であり、近年新設された「情報処理安全確保支援士(登録セキスペ)」だ。
これらの資格は、根拠法(技術士法、情報処理促進法)によって非常に重い法的義務が課されている。
特に「秘密保持義務」は強力で、資格を返上した後であっても一生涯にわたって課される。これに違反すれば、民間資格のような除名処分にとどまらず、「1年以下の懲役又は50万円以下の罰金」という、前科のつく刑事罰が背景にある。
また、技術士法には「公益確保の責務」も明記されている。
ここに、プロフェッション特有のジレンマが生じる。もしクライアントのシステムに重大な社会的欠陥(意図的なデータ不正流用など)を発見した場合、「秘密保持」と「公益確保」のどちらを優先すべきか。国やクライアントに対する義務、すなわち「守りの倫理」としての法的な枠組みがここにはある。
ACMが示す、もう一つのアプローチ(攻めの倫理)
一方で、法律や罰則による外在的な規制とは全く異なるアプローチで、包括的な指針を示しているのが米国計算機学会(ACM)の倫理綱領(ACM Code of Ethics and Professional Conduct)だ。日本ではあまり広く紹介されていないが、世界のソフトウェア工学における事実上の世界標準として機能している。
ACMのアプローチは、破ったら罰せられる「規則」ではなく、「テクノロジーで世界を変えてしまう我々IT専門職は、どうあるべきか」という、内在的な自律(モラル)の表明だ。
その内容は極めて包括的であり、現代のIT社会が直面する課題を先回りしている。
- 社会と人間の幸福への貢献(1.1)
- 公平性と差別の禁止(1.4): AIやアルゴリズムのバイアス(偏見)を排除する責任
- リスクの徹底的な評価と説明責任(2.5)
- 内部告発(ホイッスルブローイング)の容認: 組織が重大な社会的リスクを無視した場合、害を減らすために内部告発が必要になる場合があると明記
日本のIT倫理が「国家やクライアントに対する義務」だとすれば、ACMの綱領は「全人類や地球環境に対するエンジニアの責任」を説く。ビジネスの論理(納期や売上)に流されそうになったとき、エンジニアが専門職としてのプライドを保ち、踏みとどまるための「北極星」として機能しているのだ。素晴らしい。
「学びを止めること」という倫理違反
プロフェッションの構成要素を語る上で、もう一つ避けて通れないのが「知識や技能の維持・向上」、すなわち自己研鑽をどう規定しているかという問題だ。
技術士法第47条の2には、「資質向上の責務」が明確に規定されている。
“技術士は、常に、その業務に関して有する知識及び技能の水準を向上させ、その他その資質の向上を図るよう努めなければならない。”
情報処理安全確保支援士(登録セキスペ)では、情報処理促進法第26条により、支援士には定期的な「講習の受講義務」が課されている(毎年1回のオンライン講習と、3年に1回の実践講習)。これは単なる努力義務ではない。
ACMでは倫理綱領の第2.2項(プロフェッショナルとしての能力の維持)では、高いクオリティのコンピューティングは、個人やチームが能力の獲得と維持に責任を持つことで成り立つとされる。
こうして見ると、ITエンジニアにとって「最新の技術を学び続けること」は、単なるキャリアアップのための自己啓発ではない。社会に害を与えず、専門職としての責任を果たすための「最低限の倫理的要件」として定義されていることがわかる。
結びにかえて
強力な職能団体による統制がないということは、裏を返せば、エンジニア一人ひとりの「自律」に委ねられている部分が大きいということでもある。
私は現時点でで、強力な職能団体を新たに形成すべきだとか、免許制にするようなアプローチは別にいらないとは思う。しかし一方で、自律のレベルアップは必要だろう。
法的な罰則による「守り」の倫理をベースに持ちつつ、ACMが示すような社会への責任という「攻め」の倫理を個々人が胸に刻むこと。組織に縛られない自由な実践者の集団だからこそ、私たちは自らの意志で、プロフェッションとしての歩みを進める必要があるのではないだろうか。そんなことを考えたのだった。