勘と経験と読経

略すとKKD。ソフトウェア開発やITプロジェクトマネジメントに関するあれこれ。

教育心理学はソフトウェア開発に活用できるか(教育心理学特論を読み終えて)

数年前からアジャイル開発コミュニティで話題になっていた放送大学のテキスト「教育心理学概論」というものがある。その増補改訂版である「教育心理学特論」を、放送大学大学院の講義15回を通じて読み終えた。そこで、本記事ではソフトウェア開発という観点から同書の感想などについて触れてみたいと思う。

教育心理学特論 (放送大学大学院教材)

教育心理学特論 (放送大学大学院教材)

なお世間的には「教育心理学概論」が有名なようですが、私は特論のほうをお勧めします。理由は以下の記事を参照

本書は(ソフトウェア開発関係者に)お勧めなのか?

自分にとって本書を通じた学びは知的好奇心を満たしたのみならず、今後の仕事への刺激も大きく、満足の高かったものだった。ではソフトウェア開発関係者(私の同僚や同業界人)にとって読むべき本なのかというと、ちょっと微妙なところである。想定している主たる読者はやはり、学校教育を中心とした「学び」の課題に取り組む推進者であり、技術者であったり会社人を想定したものではないからだ。

とはいえ例えばソフトウェア開発の大きな課題が「教育・育成」であることは確かであり、学ぶべきところは多い。技術者教育、とくに単なる講義やプレゼンテーション以外の取り組みによる学習を推進している人には大いに参考になるという印象。アジャイル開発コミュニティで話題となっていた理由も、スクラムマスターやアジャイルコーチといったプロジェクトへの関わり方や役割の人が多いというのが関係しているのだと思う。

ここから先は、本書を読んで特に興味深かった事項をいくつか紹介する。もし興味があるのであれば本書を、そして可能であれば放送大学の講義(半期毎に毎週放送しており誰でも視聴できる)もぜひ視聴してみると良いと思う。なお全15回の講義のうち第1回は実は無料でインターネットで試聴できるので興味があれば聞いてみるのも良いかもしれない。

現代における学びの変化について(#15.21世紀の学びを支える「実践学」作りに向けて)

今、ネットワーク文化が大人の仕事の仕方を変え、社会や文化のあり方そのものを変えている。それに合わせて「学校」や「教育」というものの果たす役割や学びのゴールのあり方も大きく変わろうとしている。

現代において、学習のアプローチやスタイルは大きく変化しているという話である。「学びのモデルの三態変化」として以下の3つのモデルが示されている。

  • 徒弟制時代 (保護者~親とは限らず、親方の場合もある~が徒弟を教える)
  • 公教育制度時代(主に政府が生徒に教える)
  • 生涯学習時代(学習者自身が学ぶ)

これを読んで改めて考えたのは、ソフトウェア開発技術における学習の特異性である。世代によって違いはあるだろうが歴史の浅いソフトウェア開発業界においては、公教育制度時代は長らく機能していなかった(最近は違う)。むしろ逆転していて、生涯学習時代から始まり様々な問題が発生することによって徒弟制時代に回帰する傾向すらあると思う。

一方で、組織のマネージャが教育を考えるときに念頭にあるのは公教育制度時代の経験だったりする、というのが非常に問題をこじらせているのではないか、というのが個人的な気づきだった。

学びのモデル(#1.学びの実践科学としての教育心理学、他)

本書(というか教育心理学という分野)の骨子の一つが「学びのモデル」であり、これはつまり学習という行為をモデル化して考えるということだと理解している。
いわゆる公教育制度時代の学習は

  • 原理原則や科学的概念を「教える」

という考え方(だけ)に立っていたわけだが、「学びのモデル」においては

  • まず個人のもつ経験則や素朴な概念、が予め存在し
  • 原理原則や科学的概念を「教わる」ことにより
  • 学習した知識と、経験則がうまくつながりを生む

ことによって学びが深まるという考え方で、学びを捉えなおしている。

この考え方についても、ソフトウェア開発に携わっていれば、実感を持って理解できるだろう。いわゆる「手を動かす」という学習であり、また近年ではPBLなどの活用もこれに近いんじゃないかと考えている。腹落ち感が強い。

建設的相互作用(#7.対話で理解が深化する仕組み)

学校教育の1つの目的は、子どもたちの作り上げる経験則が素朴で、学校で教えたい科学的な考え方と違うときに、その素朴概念を科学的概念に変えていくことである。第4章でも触れたように、科学者が最初から科学的な理論を持っていたと考えるのはむしろ不自然で、彼らも子どもたちと同様、日常的に経験できることから次の現象の予測のための経験則を作り、それらをたくさんの人たちの間で突き合わせながら、真実により近い経験則、適用範囲のより広い経験則、より抽象的な科学理論へと作り変えていったと思われる。
この概念変化の仕組みを支えているのは、人と人との対話であり、そこに起きる建設的な相互作用である。

上記のことをまさに本書では建設的相互作用と呼んでいるのだが、これに関連したテーマは非常に勉強になった。まさにこの建設的相互作用はソフトウェア開発においてこそ重要な概念という気がしている。特に近年のソフトウェア開発プロジェクトは探索的になっているという意味では、要求や仕様面でも、技術面でも建設的相互作用をいかに生み出していくかが、重要な概念になっているのではないだろうか。

というわけで、万人にお勧めする本でないことは確かだが、自分の中では様々な(ソフトウェア開発に関連する)課題感のつながりを得る、非常に興味深い学びだった。また本書は現在はアジャイル開発コミュニティを中心に流行っているようだが、限定することなく、むしろソフトウェア開発一般的な課題への適用を考えることができるヒント集のようでもあると考えている。似たようなことを考えている人がいたら、ぜひ議論してみたい。