勘と経験と読経

略すとKKD。ソフトウェア開発やITプロジェクトマネジメントに関するあれこれ。

ITエンジニア本大賞ノミネート本の「冒険の書」を読んだ

読むのがホネな技術書やビジネス書を取り上げて2週間の読書期限を課して読んでアウトプットする仮想読書会「デッドライン読書会」の第64回。同僚と読書期限を約束することによって積読が確実に減るという仕組み。過去記事はこちら

さて、今回は「冒険の書 AI時代のアンラーニング」である。前回骨太の技術書を読んでいたので、ちょっと気分を変えてITエンジニア本大賞2024ノミネート作品からセレクションしてみました。

あとで調べたら、いろいろ話題になっている本だったようである。知りませんでした。すいません。

冒険の書」全体の感想

不思議な本である。有名なシリアルアントレプレナーである著者の孫泰蔵氏が、主に「教育」に関する問いを古今東西の名著で解決するという筋書きなのだが、紹介のしかたが面白い。なんと、名著を読んでいるとその著者の世界に転生して対話ができてしまうという……

いつものデスクの横にあるソファに座って、さっそく「ホッブズ市民論」(1642)を開きました。その瞬間、ソファのまわりが白い光に包まれ、一瞬の閃光に目がくらんだ僕は、思わずうずくまってしまいました。湿った空気が肌に触れた気がして顔をあげると、僕はべンチに座っていました。目の前に広がるのは、古いヨ ー ロッパの朝の街並みのようです。どんよりとした空の下に古びた教会が見えます。隣では、僕より少し年上に見える男性がなにやら板の上に紙を置いて書き物をしていました。僕に気がついた彼は、薄茶色の目を細めてひとしきりこちらを見た後、再び視線を手元に落として書き物を続けながら言いました。「新しい冒険者よ!どうだね、イングランドの素晴らしい天気は?」
冒険の書 AI時代のアンラーニング 第1章 解き放とう、より

この会話している相手がトマス・ホッブズである。な、なんだってーっ!
とはいえ、この奇妙な仕掛けは実は巧妙で、結果として古今東西の教育に関連する書籍のエッセンスがわりとわかった気になるのである。

(そんなことは著作には書かれていないのだが)この本は孫泰蔵のプレイしたゲームの「セーブデータ」を追体験するような形になっていると感じた。RPGだとよく主要なエピソードのムービーは見直せるようになっているが、転生部分はそういうイメージである。もちろん同氏と同じようにたくさんの本を読んでいくほうが学びが深いと思うのだけれども、著者の旅路を覗き見することで、理解が深まるという趣向である。現在同氏は「VIVITA」というクリエイティブラーニングの活動も行っているようだが、そこに至る活動の記録のようなものと考えれば良いのだろうか。

そんな本書であるが、全世代に共通する「学ぶ」ということをテーマにしていて内容としても学びは大きい。わたしは子供の親として、また学習を続けるおとなとして非常に刺激になっている。

本書で気になったこと、考えたこと

「能力信仰」と、日本型「能力」のこと

本書の第3章から「能力信仰」に関する話が紹介される。

  • 最初は統計的な研究で生み出された「能力」という概念が発展し、「能力を身につければ幸せになれる」という「能力信仰」が発展した
  • 「能力信仰」から「能力によってその人間の地位が決まる」というメリトクラシーの考え方、自己責任論が生まれた
  • メリトクラシーが人々を分断し不幸に追いやっている

これは知っているし、現代という時代を理解する非常に重要なキーワードだと考えているが、加えて日本型「能力」という考え方がある。これを混ぜない方が良いと思うのだ。
最近読んだ「ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機 (岩波新書)」ではこんなことが紹介されていた。

この「能力」評価の「能力」にかぎ括弧を付けているのは、日本における能力という言葉を外国にそのまま持っていくと全く意味が通じないからです。能力という言葉は、日本以外では、特定職務の顕在能力以外意味しません。具体的なある職務を遂行する能力のことを意味します。ところが、日本では、職務遂行能力という非常に紛らわしい、そのまま訳すと、あたかも特定のジョブを遂行する能力であるかのように見える言葉が、全くそういう意味ではなくて、潜在能力を意味する言葉になっています。それは仕方がありません。末端のヒラ社員まで評価する以上、潜在能力で評価するしかないのです。
ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機 (岩波新書) 第1章 ジョブ型とメンバーシップ型の基礎の基礎、より

仕事をしていると様々な場所で「能力評価」というモヤモヤすることばに頻繁に触れるようになる。なお同書ではここでいう「能力評価」は年功型賃金制度を言葉だけで言い換えたものであり、情意(雰囲気)で好き勝手に定義でき、時間の経過(年功)により向上したことにできる怪しげな概念というように紹介されている。

つまり(日本の)仕事で触れる「能力」という言葉は、いちだんと歪んだ概念なのである。それを理解した上でメリトクラシー論に触れたほうがより理解が深まるのではないかと思う。

ライフロング・キンダガーデン

本書の後半では著者の結論として「ライフロング・プレイグラウンド」という考え方が紹介される。ここで思い出したのは「ライフロング・キンダーガーテン 創造的思考力を育む4つの原則」だ。

こどもでも使えるプログラミング環境Scratchを生み出したMITの ミッチェル・レズニックという方の著書である。
序文が以下から読めるので興味があればどうぞ。

過去1世紀にわたって、農業、医学、および製造の分野は、新しい技術と科学的進歩により根本的に変化しました。教育はそうではありません。新しい技術が学校に入ったとしても、ほとんどの学校の中核的な規則とアプローチは変わらないままで、依然として工業社会のニーズとプロセスに沿った、組立ラインの考え方に固執しています。
ライフロング・キンダーガーテン 創造的思考力を育む4つの原則

と、本書とまったく同じ問題意識が書かれているのだ。本書を通読したのはだいぶ以前だが、生涯「幼稚園児のように」「こねくりまわす(ティンカリング)創造を」ということが書かれている同書は本書に通じるものがあると思う。

あそぶようにまなぶ

本書のとらえ方はいろいろあると思うけれども、自分にとっては「あそぶようにまなぶ」重要性を再確認した読書であった。現在の自分の「まなび」と「あそび」の境界はほとんどなくなっている。この考え方を自分だけではなく、他者に広げるにはどうしたらよいか。そんなことを考えるようになったのであった。