勘と経験と読経

略すとKKD。ソフトウェア開発やITプロジェクトマネジメントに関するあれこれ。

若手が育たないとか言っている暇はもう無い

放送大学の大学長である來生先生が2020年度の入学案内で語っていた内容がとても良かった。

 情報化の進展は、全ての分野で情報生産の量とスピードを、想像もつかないほど増大させ、その増大は今後ますます激しくなります。医学関係の知識が倍増する時間が、1950年代には50年、80年代には7年、2010年には3.5年だったものが、2020年にはわずか73日になるともいわれています。それにより社会構成員が個人的に持つ知識の陳腐化は非常に速い速度で進み、しかもその速度は等比級数的に増します。
 社会全体の情報量が限られ、その増加の速度も遅い時代にあっては、ある時点で獲得した知識の陳腐化は長い時間を経て徐々に進行します。これまでは、過去のある時点で獲得した知識の有用性の、相対的な有効性が長期に持続することが期待できました。多くの人が若い時代に獲得した学位の実質的な有効性が、人生の終末まで続くとの期待が可能だったということです。
 しかし、過去の知識の相対的有用性が、信じられないほどの速度で低下しつつあります。それが情報化の冷徹な一面です。人が社会的に価値ある存在であり続けるためには、学歴や職歴にかかわらず、「人は常に学び 続けなければならず」、しかも「それを生涯継続すること」が義務として求められる時代がすでに来つつあるのです。
放送大学 2020年度 教養学部案内(PDF)

なお、言及されている医学関係の知識が倍増される話(the doubling time of medical knowledge)についてちょっと調べてみたが、以下の論文が原典のようだ。2010年に発表されたもの。

(なおこの話が正しいのか、についてはいろいろと議論もあるようなので注意が必要だろう)

AKIRA A.D.2019 TOKYO

遅刻してくれて、ありがとう(上) 常識が通じない時代の生き方 遅刻してくれて、ありがとう 常識が通じない時代の生き方」でトーマス・フリードマンが語っているように(もしくはその他諸々の書籍で繰り返し言われているように)、あらゆるものが加速している(フリードマンの定義では”NOVA化している")状態である。よって、常に学び続けている必要性も指数関数的に増加している。

私が大学を卒業したときには、仕事を見つけなければならなかった。私の娘たちは、仕事を創り出さなければならない。私は大学で生活のためのスキルを身につけ、その後の生涯学習は趣味だった。娘たちは最初の仕事を得るスキルを身につけるために大学へ行き、生涯学習はその後のあらゆる仕事で必要になる。
遅刻してくれて、ありがとう(上) 常識が通じない時代の生き方 遅刻してくれて、ありがとう 常識が通じない時代の生き方

自分自身も45歳になって完全なオッサンなのであるが、一応ほどほどに努力はしているつもりである(成果が出ているかは別にして)。
ただ、所属組織で同年代や少し職位が上の(比喩としての)オッサンが「若手が育たない」「若手を育ているにはどうすればいいのか」と会議室で踏ん反り返って議論をしているのを見ると、大きな違和感を感じてしまう。「お前はどうなんだよ」

若手を育てるための正解は、自分がそれ以上に成長することではないか。そんなことを新年に酔っ払いながら少し考えたのであった。