勘と経験と読経

略すとKKD。ソフトウェア開発やITプロジェクトマネジメントに関するあれこれ。

協調学習としての読書、概念装置、大人の学び

ちょっとした思いつきに関するメモ。
最近「読書と社会科学 (岩波新書)」を読んだ。本書で紹介されている「概念装置」という概念はすこし前に学んだ「教育心理学特論 (放送大学大学院教材)」における協調学習の概念と重なるところがあるような気がしているという話。

読書と社会科学 (岩波新書)

読書と社会科学 (岩波新書)

概念装置とは

読書と社会科学 (岩波新書)」は一種の読書論なのだけれども、この中で取り上げられている「概念装置」という話は特に有名なようだ。
自然科学においては、例えば電子顕微鏡のような「物的装置」を用いてふだん見えないような物を見ることができる。
いっぽうで社会科学においてはこのような「物的装置」は存在しないので、かわりに各自が学習を通じて身についてた「概念装置」を用いて物事を分析することになるというのだ。

概念装置は、同じ自分の眼を補佐する装置であっても、物的装置とちがって、身体の外部ではなく内部にあるもの、自分の脳中に組み立てるものです。電子顕微鏡などのように、立派に出来上がった高度なものを、買いととのえるというわけにはいかないので、一人一人、苦労して組み立て作業をやらなければなりません。

そして、この概念装置を組み立てる作業の一つとして、読書そして精読が紹介されているのである。

協調学習のモデル

教育心理学特論 (放送大学大学院教材)」で紹介されている協調学習のモデル、とはこのようなものである。
(上記書籍を読まずとも、協調学習 授業デザインハンドブック 第3版 | 東京大学 CoREFの理論編で同様内容の詳細が閲覧可能である)
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  • 学習という観点では、いかにして各自が持っている「レベル1:経験則、素朴理論」の知識を理論に裏付けられた「レベル2:説明モデル」に引き上げられるかがポイントとなる
  • 教科書や座学で供給される「レベル3:科学的概念」はそのままでは身につかないので、これを利用して「レベル1」が「レベル2」に引き上げられるようなプロセスが求められる
  • 協調学習の理論の一つとして、他者と一緒に考えるというプロセスを踏むことで「レベル2」への引き上げが起こりやすいという考え方がある(建設的相互作用)
    • この方法が成功する理由としては、他者と一緒に考えるプロセスにおいて「自分の考えを(他者と共有するために)外に出す行為」と「他者の考えを見聞きすることによって自分の考えが深まる」があるとされている。

読書を通じて「建設的相互作用」は生み出せるのか

協調学習のモデルは納得感しかない。自分のまわり(つまりソフトウェア開発の実務の周辺)を見ていても、このような学びの場は多く存在しているように見える。
ただし、この協調学習のモデルの難点は、並走者つまり一緒に学びあう仲間が必要という点である。
それでは、独習すなわち読書で「建設的相互作用」は生み出せるのだろうか。そこに「読書と社会科学 (岩波新書)」での概念装置の話がぴったりと当てはまるのではないかと思う。

「読書と社会科学」には以下のような読書のアドバイスが記載されている。

  • 対象の書籍を、自分に変化をおこさせるように深く読む(古典として読む)
  • 著者を信頼するが、常に疑いや疑問点がないか考えながら読む(信じて疑う)
  • 感想文を書くために読むのではなく、深く読んだ結果としての感想を記す(みだりに感想文を書くな)

まさにこれは著者と対話的に書籍を読むことであり、建設的相互作用を生み出す方法ととらえることもできるのではないかと考えたのである。
また、そうであれば「概念装置」を育むために必要な読書は(建設的相互作業を生み出すために)公開するかは別としてもアウトプットを伴うことであり、また感想を他者と交換することも重要なのではないかと思う。
(と、考えることによって、このブログを書き続ける動機を裏打ちしようとしているだけかもしれないけれど)