数年前に流行したソフトウェアアーキテクチャのメタファー(?)として「式年遷宮アーキテクチャ」というものがある。最近自分が日本美術史の授業で聞いた話を踏まえると、われわれエンジニアは式年遷宮をちょっと誤解しているような気がする、という話。いまさらなんなのさ、という気もするが色々調べてしまったので備忘録的に記録しておく。
式年遷宮アーキテクチャ
たしか、このあたりの記事がきっかけで
以下など各所で言及されていたように記憶している(おそらく初出は別のブログ記事だと思うのだけれども、現在はアクセスできないようだ)。
一種のミームなので厳密には定義できないが「式年遷宮アーキテクチャ」という言葉に込められた要素は
- 定期的に作り直す事によって耐用年数を伸ばすことができる
- 定期的に作り直す事によって技術継承が可能
であると考えられる。
しかし、式年遷宮そのものを調べると、実は上記のイメージと実際は異なっているのである。
実際の式年遷宮
- 最初の式年遷宮は西暦690年。
- ただしその後20年ごとに実施され続けてきたかというとそうではない。14世紀後半から123年間放置されてきた期間がある。また16世紀には社そのものが存在しなかった期間がある(再建時には手本も図面もなかった)。よって物質的にも、形態としても連続性は保証されていない。
- 近世に至るまで図面などなく、禰宜と宮大工との口頭協議により意匠や建造物の配置が変更されることがあったという。
- 定期的に建て替えを要するのは建築様式によるもの。礎石を用いず地面に柱を直接突き刺すために老朽化しやすく耐用年数が短い。
というわけで、あれ、なんかちょっと思ってたもんと違う・・・
ja.wikipedia.org
伊勢神宮遷宮前後相論 - Wikipedia
たしかに(儀礼的な目的で)20年毎に再構築を実施しているという点はイメージ通りだろう。しかし、式年遷宮を俯瞰してみた場合、技術継承という側面を取り上げるのはちょっと行き過ぎていると思う(少なくとも初期の技術はまったく継承されていないと言えるだろう)。また、原材料は20年ごとに新しいものに交換されるが、設計の改善も行われない。うーん、アーキテクチャのプラクティスとしてはどうなの、という印象だ。
新陳代謝を意図的にどう起こさせるのか
結局は意図的にある程度の頻度で新陳代謝を起こさせないとひどいことが起きるという話であって、例えば畑村先生の失敗学では「企業30年説」という形で技術継承ができずに破滅するという話もあった。ある意味ソフトウェアに固有の話ではない(スピード感は違うかも)。
Martin Fowlerが犠牲的アーキテクチャの記事で示したように、組織戦略として組み込むというのが一案。というかたぶんこれが正しいのだろう。組織戦略の問題だ。
ただ、こういった新陳代謝の例えとして式年遷宮を持ってくるのはロマンチックではあるけれども、ちょっと違うんじゃないかといまさらながらに考えたのであった。