書籍「ユーザーストーリーマッピング」を読んでいたら、テンプレートゾンビの話が出てきて面白かった。テンプレートゾンビは、デマルコの「アドレナリンジャンキー」に登場するソフトウェア開発のアンチパターンのひとつだ。というわけでデマルコ本を再読したことなど。
ユーザーストーリーテンプレートゾンビ
- テンプレートは非常にシンプルなので、濫用されることが多い。
- テンプレートに収まりきらないアイデアを無理やりテンプレートに押し込もうとして必死になっている人を見かける。
- バックエンドサービスやセキュリティ問題についてのストーリーは難しいものになることがある。
- 最終的に利益を手にする人の視点ではなく、自分の視点からものを書き、考える人々もいる。
- 「プロダクトオーナーとして、私は顧客の要件に合わせるために、あなたにファイルアップローダーを作ってもらいたい」というタチの悪い考え方。
さらに悪いことに、テンプレートは広く普及し共通に教えられているため、その形式で書かれていないものは、ストーリーではないと考える人すらいる。
- ユーザーストーリーマッピング 7.2 テンプレートゾンビとプルークボーゲン
ここで言うテンプレートとは、ユーザーストーリーのよくあるものだ。つまり
- 「ユーザータイプ」として、
- 私は「これこれの結果を得る」ために、
- 「これこれ」をしたい。
というもの。
要は、このテンプレートにこだわるあまり、明らかにおさまらないストーリーやアイデアを時間をかけてテンプレートに押し込める作業のムダについて述べているわけである。たしかにそれはムダだけれども、テンプレートゾンビのパターンが示すムダとは必ずしも同じと言えないように思う。
- 無理やりストーリーのテンプレートを守ること自体は、まったくのムダだ。
- ただしそのムダはけして大きなものではない。所詮はワンセンテンスの文章に関する話だ(もしくは、それが数十個)。
- 良くないストーリーだったとしても、それは必ず読まれ、コミュニケーションに利用できる(確かに「プロダクトオーナーとして、私は顧客の要件に合わせるために、あなたにファイルアップローダーを作ってもらいたい」というストーリーはイマイチだけど、ファイルアップローダーに関する話であることはわかる)。
テンプレートゾンビの真の恐怖は、誰も読まない文書を作成してしまうことだ(だからゾンビなのだろう)。
テンプレートゾンビ
というわけで、改めて「アドレナリンジャンキー」である。
文書の内容を検討することにより、標準文書を作成することに懸命になっているプロジェクトチームを見つけたら、そこはテンプレートゾンビの国である。
(中略)
テンプレートゾンビの国では、フォームが最優先である。文書の内容について考える必要はない。まったく何ひとつ考える必要はない。大事なのは、決められた見出し全部の下に何かが書いてあることだ。驚くことではないが、テンプレートゾンビはカット&ペーストの技に長け、テンプレートの指示に合わないことは無視するのが得意である。
(中略)
テンプレートゾンビは、テンプレートのすべてのボックスが埋まってさえいれば、成功間違いなしと信じている。プロジェクトはすべて違うというやっかいな現実に直面し、テンプレートをガイドとして使うのではなく、心を無にして空白を埋めたいという誘惑に負けてしまう。
- アドレナリンジャンキー プロジェクトの現在と未来を映す86パターン 86 テンプレートゾンビ
テンプレートゾンビの背景にあるのは「恐れ」である。「テンプレートを使用しない」とするためには判断が必要で、それにはリスクが伴う。子のリスクが取れないと、標準化文書一式を作成するというテンプレートゾンビの国の門がひらくことになるのだ。
残念ながら、それほど自信も専門知識もない開発者や顧客やマネジャーは、計画や仕様や標準を一式すべて作成したほうが安全だと考えがちである。ここに至ってある種のグレシャムの法則(「悪貨は良貨を駆逐する」)が働き、最も専門知識に乏しい参加者が先頭に立って、必要な部分だけに絞り込むこともなく、文書一式すべてを作成する方向にプロジェクトを押しやることになる。さらに、この非専門家たちはどんどん溜まっていく文書の山にはほとんど目を通しもせず、それでいてプロジェクトを予測し管理するためのベストプラクティスに従っているのだと考えて安心してしまう。
アジャイルと規律
というわけでテンプレートゾンビは忌避すべきものだけれども、ユーザーストーリーに関していえば気にする必要は無いと思う。