勘と経験と読経

略すとKKD。ソフトウェア開発やITプロジェクトマネジメントに関するあれこれ。

コンテナの物語を読んで、SIerの行く末を想った

読書メモ。「コンテナ物語」はコンテナ輸送(コンテナリゼーション)が現代社会に与えたインパクトについて書かれた本だ。内容自体とても面白いのだが、読みながら別のことを考えていた。

なお私はKindle版をセールで購入(セールは既に終了)。

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

コンテナの物語

本書で紹介されるコンテナを軸にした輸送革命の流れはだいたいこんな感じだ。

  • コンテナが発明される
  • 標準化されるが、さほど普及せず
  • 効率化は達成されたが、運送コスト大きく下がらず普及せず
  • 荷主がグローバルサプライチェーンの優位性に気付き、普及

自分が興味を持ったのは、この過程の中で「沖仲士」と呼ばれる荷役を行う港湾労働者の仕事が消滅したことだった。港湾労働の特殊性による独特の文化をもった労働者集団である。過酷な労働条件、一つの会社のために働くわけではない(その日の荷役に応じて斡旋される)為に仲間意識が強く排他的、タフガイ、誰の指図も受けないといった人々。

だが多くの沖仲仕にとってそれ以上に悩ましかったのは、社会的な変化だろう。時間と体力を要する仕事は波止場から姿を消した。在来船のどこにどの貨物を積み付ければ船は安全に航行できるかなどという知識は、もう価値がない。年をとったらつらい船倉の仕事から文字通り甲板に這い上がって楽なデリックマンになれるはずだったのに、ギャングが少人数編成になって、デリックマンは絶え間なくコンテナを吊り上げては下ろす忙しい仕事になっている。危険だけれど割のいい力仕事。かつてはその仕事を無条件で息子に継がせることができたのに、もはやそれも叶わない。仕事自体がなくなりつつあった。安定した収入が保障されるようになった沖仲仕は、ごみごみした波止場に住み着く必要もない。彼らは快適な郊外の住宅地に住むようになり、独特の連帯感は消えていく。不安定な日雇い労働、気心の知れたギャング仲間、釣りに行きたければ釣りに行き、仕事が終われば飲んだくれるという日々は終わったのである。
コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

クラウドはコンテナか?

一つの職人的職業(沖仲仕)が技術の進歩(コンテナ)によって消滅したという話を、ソフトウェア業界に当てはめてみるといろいろと符号して恐ろしくなってくる。

  • コンテナ普及以前の運賃の約半分は荷役費用(人件費)が占めていた
  • コンテナの導入でコストの圧縮だけでなく時間の節約と大きな品質向上(輸送ミスが減る)
  • 単なる海上輸送手段から、工場と小売店を繋ぐシームレスな輸送システムに拡張
  • 最初、運送会社主体でコンテナ普及を図ったが伸びず。やがて荷主が賢く活用する方法を学び劇的に普及。

コンテナリゼーション時代には、輸送の買い手である荷主も、貨物輸送のコスト管理について新しい考え方を学ぶ必要に迫られた。そして彼らが賢くなり、抜け目なく立ち回り、さらに一致団結するようになったとき、輸送コストは下がり始めたのである。
コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

例えばコンテナを「クラウド」に、沖仲仕システムエンジニアに置き換えてみたらどうだろう。「アジャイル開発」もスパイスとして効いてくる。特にSIerが中心となる受託ソフトウェア開発の世界で、労働集約的な仕事をしている人にとっては、他人ごとでは無いと思う。今ある仕事は将来無くなるかもしれない。そう考えながら読むとなかなか面白い。