Twitterのタイムラインを眺めていたら「デスマ」という単語が飛び交っていたので考えた事。「デスマ」という言葉は既に和製英語のようなものになっていて、本来の「デスマーチ」とは程遠いものになっていると考えている。
デスマーチとは
以前にDevLOVE HangarFlight Experiencesというエッセイ集に「デスマーチとブラックを混同するな」というタイトルで寄稿した内容を引用する。
ソフトウェア開発プロジェクトに従事しているエンジニアにとって、デスマーチ(あるいは「デスマ((゜∀゜)」) という単語はとても魅力的なようです。デスマーチという言葉の中に込められたスリルやサスペンス、自分の能力を最大限に発揮できる雰囲気がエンジニアの目を惹き付けてやまないのでしょうか。とにかく世の中のブログやLT の中にはデスマという単語が目立ちます。飲み屋でエンジニアどうしが交流すると、デスマ自慢が始まるのが社交辞令のようです(これは嘘です)。
ところで本当にあなたの経験したプロジェクトは、デスマーチだったのでしょうか?
デスマーチとは、ソフトウェア開発における悲惨なプロジェクトのメタファーです。メンバーに極度な負担を強い、かつ成功する確率が低い状況を、「死の行進(デスマーチ)」と呼びます。
Wikipedia(筆者が調べた時点の記載) では、デスマーチは次のように説明されています。
- 与えられた期間が、常識的な期間の半分以下である
- エンジニアが通常必要な人数の半分以下である
- 予算やその他のリソースが必要分に対して半分である
- 機能や性能などの要求が倍以上である
これらの条件などにより、絶対達成不可能なプロジェクトが、いわゆる栄光の「デスマーチ」なのです。それでは、あなたのプロジェクトはどうでしょうか?
DevLOVE HangarFlight Experiences - 達人出版会
全文は同書を購入して読んでいただくとして(ステマ)、今も基本的に考え方は変わっていない。
ソフトウェア開発に限らず様々なプロジェクトにおいて、スケジュールの遅れをリカバリーするために短期的に残業・徹夜など稼働を上げて対応することもあるだろう。また、その対策打ち手を誤って結局スケジュールが伸びるということも起こりえる。しかしこれはデスマーチな状況ではないだろう。慢性的にこの状況が続くのだったとしても、それはプロジェクトがデスマーチというよりは職場がブラックなだけだ。
通過儀礼としてのデスマ
それではどうして人はデスマについて語るのだろうか。TwitterのTLなどを眺めていると、なんとなく技術者の通過儀礼のように捉えられているような気がしている。
- 一部の世界で行われている「成人になるための儀式」みたいなもの?
- ライオンを倒したら一人前とか
- バンジージャンプできたら成人とか
- 経験していないと1人前と見なさない
- デスマクラブ
- 「俺が若い頃は・・・」の別バージョン
こういった意図で安易に「デスマ」を語るのはやめたほうがいいと思っている。安易に語るのはデスマ(実際はブラック)な労務環境を肯定することにもつながりかねないからだ。
デスマ(ブラック)な状況を作り出してしまうことは、エンジニアの立場であってもマネージャの立場であっても恥ずべきことなのだと思う。少なくとも自慢できるような事柄ではないと思うのだが、いかがだろうか。